Hula Volume One (1991, Genoa Keawe Records)

ハワイアン・ミュージック・シーンを語る上で、その存在を絶対に避けて通ることは出来ないアンティー・ジェノア・ケアヴェ。彼女は、1918年ホノルルのカカアコ・エリア生まれで、本名をジェノア・レイラニ・アドルフォ・ケアヴェ – アイコという。この「アンティー」は、これまで紹介してきた「シスタ」や「ブラダ」と同様に、親しみを込めた愛称で「おばさん」とう言う意味。

2008年、89歳でこの世を去ったジェノアは、ハワイアンとハパハオレの膨大なレパートリーを持ち、1940年代から1990年代にかけて幅広くレコーディングされたハワイアン・ミュージック・シーンきってのベテラン女性歌手。
彼女はハワイアン・ミュージックのアイコンであり、60年以上にわたってハワイアン・ミュージック・シーンのメインストリームであり続け、ローカルもツーリストも、どちらの聴衆も同じ様に魅了していた。

彼女の音楽人生のスタートは、10歳のときに引っ越したノースショアに近いライエの町でのことで、そこで参加した教会の合唱団で音楽的な基礎を学んだという。彼女が音楽のレパートリー、知識、そして鑑賞の経験を積み上げたのは、この合唱団だった。母国語としてハワイ語を話す義母を通してハワイ語を話すことを学んだ彼女は伝統的なハワイのメレの中に幅広いレパートリーを持っていて、 ナ・メレ・ハワイ(ハワイの伝統的な音楽)を保存することに大きな意義と誇りを持っていた。

そんな彼女は第二次世界大戦前にカイルアにある軍のオフィサーズ・クラブや野外ステージショーでプロとして音楽を演奏し始めた。しかし、その当時は他のほとんどのミュージシャンと同様に、ジェノアは音楽だけで生計を立てることはできず、レイの売り子やタクシーの運転手としても、お金を稼がざるをえなかった。

そうして始まった彼女の長く輝かしい音楽のキャリアは、ルアウ・パーティー、ラウンジ、バー、そして数多くのラジオやテレビ番組で演奏し、ハワイのみならず世界にその活動の場を広げていった。

美しくてとても力強いそのファルセット・ヴォイスは、聴くものを魅了してやまない。
一方で、ハワイアンとして、長年受け継がれてきた自らの伝統や文化をリスペクトし、それらを保存、維持してゆくことに心血を注いでいたが、根っからのエンターテイナーであった彼女は、そのファルセットを息継ぎなしに、これでもかと伸ばす超ロングトーンで、会場の大きな声援と拍手の嵐の中で曲を締める、独特なストロング・スタイルな「必殺技」で行く先ざきで人々を楽しませていた。

彼女は、1946年以来、レコーディング・アーティストとしても活動してきた。The 49th State Hawaii record company、Hula Recordsを経て、自らのレーヴェルGenoa Keawe Recordsを設立し、その後は、このレーヴェルを通じておなじみのサポートバンド、Aunty Genoa’s Hawaiiansや子どもたちとの作品を発表することとなる。

本作は、そのGenoa Keawe Recordsからリリースされた、彼女の息子たちGaryとSamを中心とした気のおけない仲間たちと制作されたフラ・ソングをあつめた1枚。

1980年:ハワイ・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツの後援により、ナ・ホク・ハノハノ・ライフタイム・アチーブメント(生涯功労賞)となったものにあたえられるシドニー・グレイソン賞を受賞。
2000年:国立芸術基金から、米国政府の民俗芸術および伝統芸術における最高の栄誉であるナショナル・ヘリテージ・フェローシップを受賞。 また、2005年:ハワイ大学から名誉博士号を授与された。
彼女には40人の孫、98人のひ孫、81人のやしゃ子がいる。

  1. Pauoa Hula
  2. Goodnight Leilani E
  3. Kou Maka Ui
  4. Lovely Hula Hands
  5. Hula O Makee
  6. Mi Nei
  7. Minoaka
  8. Blue Hawaiian Moonlight
  9. Papalina Lahilahi
  10. Haole Hula
  11. Holo Holo Kaa
  12. Little Grass Shack
彼女の死を悼む当時のニュース番組