Imagine (1996, Pa’Ani Records)

Ukulele Stylings #1で、気になったモエ・ケアレを深堀りすることにした。
同じくPa’Ani Recordsから、翌年リリースされた彼の2枚目のソロ・アルバム「イマジン」。
改めて聞いてみると、ウクレレの腕もさることながら、ずば抜けたヴォーカリストだったんだな、、、

モエ・ケアレは、本名をウィルフレッド・ナラニ・”モエ”・ケアレといい、1939年ニイハウ島生まれの100%ハワイアンの血を受け継ぐミュージシャン。父はニイハウ島出身で母はカウアイ島の出身で、モエは7番目の子供だった。
その後、家族はオアフに引っ越し、パロロ・ヴァレーに居を構え、カイムキ高校に通ったという。あのイズラエル・カマカヴィヴォオレの叔父にあたる。
4歳からはじめたウクレレはメキメキ上達し、20歳前にはワイキキでプロミュージシャンとしての活動を始めるが、同時にワイキキのビーチボーイをしたり、タヒチアン・ショーの一員として高飛び込みをしていたりと多方面で活動をしていた。また、ハワイで撮影されていたオリジナルのハワイ5-Oのセットの裏方さんの電気技師として働いていた時に見いだされて、トラック・ケアロハという役名で何度も登場したり、その他20本近い映画やTVドラマシリーズにも俳優として参加した。1969年にはエディー・カマエの誘いで、サンズ・オヴ・ハワイに加入し、リード・ヴォーカリストとして、77年まで活動をともにし、その後のリユニオン・コンサートにも参加する。翌78年には、初のソロアルバム「サウス・シー・アイランド・マジック」をレコーディングし、生涯で3枚のアルバムを残している。
彼の多才さは、とどまるところを知らず、1980年代にはローカルラジオ局KCCNでDJも努めたし、カフナであった父からの教えを守り、ハワイの伝統を正しく伝えるべく、ロミロミ・マッサージ・サロンの経営者でもあった。
1984年からは、モエ・ケアレ&ア・ヌエヌエとしてシェラトン・ワイキキで週に2回プールサイドで演奏を続け、奇しくも、2002年に、彼が心臓発作で倒れたときもシェラトンでの演奏中の事だった。シェラトン・ワイキキには今もモエ・ケアレの肖像画が飾られている。2012年、ハワイ・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ(HARA)より、ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズ、ライフタイム・アチーブメント(功労賞)が贈られている。

  1. Maika’i Kaua’i Awaiaulu Ke Aloha
  2. Aia i Hi’ikua. i Hi’ialo
  3. Hanohano ‘o Maui
  4. Honi
  5. The Water is Wide
  6. Lihau
  7. A Lei of Aloha
  8. I Love
  9. Wonderful World
  10. Kolena