Alone in IZ World (2001, Big Boy Record, Mountain Apple Company)

以前、DVDを紹介した、ハワイの天才ミュージシャン、イズラエル・カマカヴィヴォオレの貴重な未発表曲集。ライブ音源、未発表音源、過去のアルバムに収められていた楽曲の別テイクなどで構成されたベスト的アルバム。

彼の死後、4年を経てリリースされたこのアルバムは、ビルボード誌のトップ・ワールド・アルバム・チャートで1位を獲得し、2001年から2003年の間の104週に亘ってチャートインしたほか、トップ・インディーズ・チャートでは、6位をピークに47週チャートイン、トップ200に5週ランクインした。
2006年、2007年、2008年には年間トップ・カタログ・アルバム・トップ5にもランクインしていた。

文字通りハワイアン・ミュージックシーンの巨人と呼ばれた「イズ」、または「ブラダ・イズ」として親しまれた彼は、天使の歌声を持つ体重800ポンドのボーカリスト。
1997年の6月に38歳の若さで他界したが、その後もなお彼の音楽は大きなスウェルのように海を渡り、様々な国で聞かれ続けている。

イズラエル・カアノ・カマカヴィヴォオレは1959年5月20日に、パロロ・ヴァレーで産まれたが、その後、家庭の事情でオアフ島の西海岸のマカハに引越すことになる。
イズが15歳のある日に、マカハビーチのピクニックテーブルでウクレレを弾いていると、ジェリー・ココという男性に話しかけられ、ジェリーの家で少しの期間、一緒に演奏した後、彼らはグループを結成することを決意し、マカハサンズ・オブ・ニイハウが産まれた。
ジェリーとイズ、イズの兄のスキッピー、ムーン・カウカヒ、そしてサム・グレイの五人の初代メンバーによる最初のブレイクは全国放送のテレビ番組、ジェリー・ルイス・テレソンの出演だった。

15年を越える期間に、マカハサンズ・オブ・ニイハウは10枚のアルバムを録音し、数多くのナホク・アウォーズを獲得。しかし、90年代の初頭にイズは新しい方向性を求めてバンドを去る決意をし、プロデューサーのジョン・デ・メロと共にアルバム制作をはじめる。

1993年に、彼のソロキャリアを決定づけ、今なお世界中で最も売れているハワイアン・アルバムの一枚である最初のソロ・アルバム「フェイシングフューチャー」をリリース。
その後、「エ・アラ・エ(1995)」、「イン・ディス・ライフ(1996)」、「イズ・イン・コンサート:ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック(1998)」、そして、この「アローン・イン・イズ・ワールド(2001)」はどれもハワイとハワイに住む人々への愛を、その甘い歌声に乗せて分かち合っている。

世界中のリスナー達にイズの音楽が知られるにつれて、映画やテレビの世界で力を持つ人達の間でもイズの音楽を自分の作品で使いたい欲求がましてきたようで、彼の音楽は「ジョー・ブラックによろしく」や全米で5000万人の人が見たという「ER」を始め、数多くの作品でフィーチャーされるようにもなった。

彼の死に際しては、ハワイ中がショックを受け彼の死を悼いだ。2万人を越える市民が州議会で行われた彼の追悼式に参加したが、この様な栄誉を与えられたハワイアンは彼で3人目だった。
ある意味、ハワイの一般の人達にとっての王様であった彼は、真のアロハの男であり、決して忘れられることはないだろう。
2003年の9月20日、彼のブロンズの胸像が地元ワイアナエ住民コミュニティーセンターに供えられた。

先日、5月20日、IZの誕生日にGoogleのDoodleにこんなのが表示されてハワイでも大きな話題になっていました。記念スクリーンショットを貼っておきましょう。

このムービーにはIZの遺骨をマカハの海で散骨する様子も収められている。当時の彼の人気ぶりを感じ取ってもらえるだろう。