Going To Hana Maui, (1992, Hulali Records)

マウイ島ハナ出身のシンガー・ソングライターで、ウクレレ・プレイヤー、スラック・キー・ギタリスト、ペケロは本名、ピーター・ペケロ・コズマ。

彼のデビューアルバムが、1992年に発表されたこの「ゴーイング・トゥ・ハナ・マウイ」。
翌年のナ・ホク・ハノハノ・アウォーズでは4部門にノミネートされた。

彼が最初にスラック・キー・ギターのインスピレーションをうけたのは、5歳のときで、「トゥトゥ・アパア」という名の盲目のハワイアンの老人が自宅の玄関先でスラック・キー・ギターを弾いているのを聞いたとき。 そして、10歳の時に、現在ではアロハ・ウィーク・フェスティバルとして知られているホオラウレア・オハナのためにハナに来たサンズ・オヴ・ハワイのギャビー・パヒヌイを見た時だったという。

1960年2月7日にハナで生まれたペケロは、ハナ高校を卒業し、陸軍に6年間従事した後、1992年にデビュー・アルバム「ゴーイング・トゥ・ハナ・マウイ」をリリースし、多くのミュージック・ファンの注目を集めることになる。ハワイの音楽のメインストリームがジャワイアンへと傾く中で、ハワイ語のファルセット混じりのヴォーカルと、スラック・キー・ギター・プレイヤーは、「新星」として迎え入れられることとなる。
1994年にはセカンド・アルバム「ペケロズ・マウイ」をリリース。これらの最初の2枚のアルバムは、アンソロジーとして、1枚のCDにまとめられ2010年にリリースされた。
2006年に、彼の最新にして、最後のアルバムとなった「ハナ・バイ・ザ・シー」をリリースし、健在ぶりをアピールしたが、2011年8月24日、心臓疾患で51歳で逝去した。
これら3枚のタイトルを見ても分かる通り、終始、故郷ハナの人々と自然への愛情を貫いた「硬派」なハワイアンでもあった。

ペケロは、イレイアロハ・ベニアミナと共作した「ニイハウ」という楽曲が、ハワイ語の最高の作曲であるとしてハクメレ部門で、唯一のホク・アウォードを受賞した。彼は、また、5月にハワイアン・スラック・キーの保存と永続化に生涯にわたって貢献したことで、2011 キホアル・ファウンデーション・レガシー・アウォード を受賞した。

彼は、「ニュー・ギャビー(・パヒヌイ)」として称賛されることもあったが、自らの愛するハワイの音楽を演奏し、歌っているだけのミュージシャンだとしか自己評価をしていなかった。

ちなみに、このジャケットのなにやら丸いものを首の下とギターのネックのところに持って演奏する少年は、ペケロ自身が10歳のときのもので、姿勢矯正のため、リリコイの実を落とさないようにして演奏を続ける練習をしていた時の写真だそう。ハナの町を訪れたカメラマンが、その風景を撮影し、1971年にナショナル・ジオグラフィック・マガジンに掲載されたものだとのこと。