1976年に結成され、40年以上も活動を続けている(多分、ハワイ最長寿な)グループが、ザ・マカハ・サンズ。
ジェローム・ココが中心となって、ルイ・ “ムーン”・カウアカヒ、サム・グレイ、そして、伝説のブラダ・イズこと、イスラエル・カマカヴィヴォオレ、そしてその兄のスキッピー・カマカヴィヴォオレがオアフ島西海岸、マカハで結成したグループ。結成当時は、ザ・マカハ・サンズ・オヴ・ニイハウという名前だった。
マカハ・サンズの結成当時というには、途絶えかけていたハワイの伝統文化を復興させようという運動ハワイアン・ルネッサンスが盛り上がっていく時期。
世界的には、エルヴィス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」など、所謂「ハッパ・ハオレ・ミュージック」がハワイアン・ミュージックと思われていた時代に、本物のハワイアンであるマカハの若者たちは、自分たちを含めたハワイアンたちが誇りをもてるような本物のハワイアン・ミュージックを作り、広めようとしていた。そのような流れの中で、マカハ・サンズは真のハワイアン・ミュージックの復活を先導したグループの一つでもあった。
バンド結成に至るストーリー、そしてイズの没後のドキュメンタリー映像はこちらで紹介済みなので興味のある人は参照してみてほしい。
ハワイ語の歌詞に、ハワイ固有のウクレレやギターの音色をのせてのパフォーマンスは、すぐにローカルのファンの心をつかみ、順調にキャリアを積みかさねていたが、そんなマカハ・サンズに最初の転機が訪れる。
1982年に、スキッピーが心臓発作により、28歳の若さで突然亡くなってしまう。彼の死因も、イズと同じく、肥満由来の心臓発作だと言われている。ポリネシア系の人たちは、消化系のとある酵素が欠乏していて、西洋よりなジャンクフードなどの栄養素や脂肪を分解しづらく、結果として肥満に結びついてゆくという話を聞いたことがある。
そしてスキッピーが亡くなった後も、スキッピーの遺志を継ぐかのように「ハワイアン度」を強め、新生マカハ・サンズ・オブ・ニイハウとしてたくさんのアルバムをリリースし、コンサートのMCなどでも積極的にハワイ語を使ってのパフォーマンスへと変わってゆく。
イズの脱退により、グループ名をザ・マカハ・サンズへ変更し、ムーン、ジョン、そしてジェロームの3人体制での活動が固定化された。このベスト・アルバムは1994年から2001年までの5枚のアルバムから選ばれた15曲で構成されている。
その後も根強くファンに支持され、着実にキャリアを積み重てゆくが、残念ながら2012年にはジョン・ココが亡くなり活動は休止となってしまい、そして、2014年にはムーンが音楽人生リタイア宣言をした。
グループ結成40周年の節目となる2015年10月にリリースされたジェローム・ココのデビュー・ソロCD「メモリーズ」は、ダニエル・ホーのプロデュースの下、これまでのグループの長い旅へのオマージュと記念としての役割を果たし、2018年9月に2枚目のソロCD「マカハサンズ、ジェロームココ」をリリースした。
現在は、ジェロームがひとりザ・マカハ・サンズの看板を守っている状態ではある。
彼らはこれまでに22枚のローカル・ハワイアンが誇りに思える、真のハワイアン・ミュージックのアルバムを世に送り出し続けてきた。