ハーブ・オオタ(1934年10月21日生まれ)は、ハワイ出身の世界的な日系人二世のウクレレ奏者。彼のアレンジと選曲による26曲の譜面を掲載し、内15曲のOhta-san自身による演奏を収録したCDもセットになっている。
この本では、TAB譜はなく、メロディー譜とコードダイヤグラムが書かれているだけなので、曲のニュアンスは付属するCDで理解し、自分なりに譜面と向かい合わなければならない、、、ちょっと敷居は高めw
Ohta-san、本名はHerbert Ichiro Ohta。「ウクレレの神様」の異名を持つ。
彼は、母のすすめで7歳のときにウクレレを始める。
10歳のときには地元ラジオ局KGMBの「アマチュア・アワー」で賞を獲得し、その実力を認められる。
12歳のときにエディ・カマエと出会い、彼の影響を受けて猛練習を重ね、ハワイアン音楽だけにとどまらず、ジャズ、ラテン、クラシック、ポップス、ロックなどあらゆる種類の音楽をウクレレ一本で演奏するというスタイル = Ohta-San Style と呼ばれる独自のウクレレ奏法を確立し、また、ソロ楽器としてのウクレレの可能性を大きく広げた。
日本語も堪能で、1953年~1963年の朝鮮戦争時にはアメリカ海兵隊司令官付通訳として約11年間、韓国と日本に駐屯したが、その期間中の55年にあの「エド・サリバン・ショー」にも出演している。
その後、伝説的なレーベル「フラ・レコード」のドン・マクダーミッドと出会い、ハワイでNo.1のヒットとなった”SUSHI”をリリース。この曲は後に、ワーナー・ブラザーズからもリリースされることとなる。
この頃から、マクダーミッドのススメで、ステージネームを”Ohta-san”と名乗るようになる。
73年にリリースした「SONG FOR ANNA」が世界で600万枚を突破する大ヒットを記録。
1980年代後半からは毎年のように来日するようになり、日本における第二次ウクレレブームの火付け役となった。
また、息子のハーブ・オータJr.はもちろん、ジェイク・シマブクロなどのソロ・ウクレレの演奏スタイルの源流はここにある。
この本を出版しているFlea Market Music Inc.は、ウクレレに人生を変えられた男 ジム・ベロフの会社で、Jumping JimはJim Beloff自身の愛称から来ている。