ハワイのミュージシャンたちが集まると決まって、「ホクはいつアルバム作るの?」と話題になっていたほど、このアルバムが、いかに待ち望まれたものかをロバート・カジメロがライナーノーツに記している。
デビューまでに、すでに多くのキャリアを積んでおり、これほどまでに、彼の実力はすでにハワイの音楽業界に知れ渡っていたということだ。
ホク・ズッターマイスターは、カネオヘで3人の兄弟と共に生まれ育ったが、その家系はハワイ王朝時代から続くフラと音楽に携わるものだったようで、彼の曾祖母であるカウイ・ズッターマイスターはこのアルバムに収録されている「ナ・プア・レイ・イリマ」などを書き、また、彼の叔母はクムフラ・ノエ・ズッターマイスター。
ちなみに母のスーザンは、スーザン・ミサエ・ズッターマイスターと日系人の様子。
ホクは幼い頃からフラを踊り始め、中学校で、ウクレレ、ギター、ベースを独学で学び始めた。
当初は、KCCN 1420AMで流れたような1970年代のハワイアン・ルネッサンス時代の楽曲を好んだようだが、 1992年、高校3年生の時に、学校の友人たちとカ・ナエというグループを結成すると、ナヘナへ・スタイルの伝統的なハワイアンを演奏する唯一の若いグループとして知られるようになり、ジェノア・ケアヴェやブラザーズ・カジメロなどの楽曲を通じて、自分たちのスタイルを作り上げていった。
高校を卒業した後も、ホクは、クウイポ・クムカヒ、ジェリー・サントス、ショーン・ナアウアオ、ライアテア・ヘルム、ナ・パラパライ、ホオケナらとの共演を通じてより深くハワイアン・ミュージックへの理解を深め、多くのことを学び、自らのスタイルを構築していった。
ホクのスタイルは、ハワイアン・ミュージックの過去と未来をつなぐ現在進行系として、多くの期待を集めている。また、確かなバックボーンもあって、フラ・コミュニティーでの信頼度と支持は圧倒的なものがある。
このファースト・アルバムは、その曾祖母を讃えてつくられていて、最初の曲「ナニ・ナ・パリ・フウリウリ・オ・ナ・コオラウ」は、「ハワイイ・アロハ」と同じメロディーでなにげに聞き始めると???となるが、これは古めのメレにはよくあることのようだ。
アルバムには、曾祖母カウイ・ズッターマイスターの曲が2曲、クムフラ・フランク・ヒューイットの曲も3曲。
フランクの「オラア・ビューティー」では、ロバート・カジメロとナ・パラパライのケアオ・コスタがコーラスで参加している。
全体を通じての安定感。特にこのファルセットの美しさと力強さは、とても「新人」の域ではない。
時に、「ベテラン新人アーティスト」として評されるのも納得だ。
このアルバム「アイナ・クプナ」は、リリースの翌年の2008年、第31回ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズで、なんと10部門にノミネートされ、アルバム・オブ・ジ・イヤー、メイル・ヴォーカリスト・オブ・ジ・イヤー、ハワイアン・ランゲージ・パフォーマンスなど6部門を受賞するという快挙を成し遂げた。
エグゼクティヴ・プロデューサーのクレジットはマカハ・サンズとなっていて気になったのだが、マカハ・サンズが立ち上げた新レーベルの第1弾がこのCDのようだ。
コオリナのアウラニリゾートに週2ペースで出演していたパフォーマンスも、現在は中断されている模様