Manny K. Fernandezは、ベテランのミュージシャンであり、ウォーターマン、ビーチボーイ、故デューク・カハナモクの友人で、当然ながら、有名なサーファーでもあった人物。
更には、ハワイアン航空に雇用されながら、Andy Cummingsのような著名なエンターテイナーたちと共に、古き良きハワイアンの名曲たちを携えて、ハワイがアメリカの準州であった時代に世界中を旅して、その魅力を伝えた、ハワイアン・ミュージックのアンバサダーとも呼ばれた人。
オアフ島カリヒに生まれ、カイムキで育ったローカルボーイのMannyは、1949年にセントルイス大学を卒業する頃には、ロングボード、タンデムを問わず、ワイキキでの多くのサーフィン大会でトロフィーを獲得するほどになっていた。一方で、音楽的才能に恵まれた家族とともに暮らしていたMannyのもとには10歳のときに、マウイ島の叔父が愛情を込めて本物のコア材で手作りした最初のウクレレで伝統的ハワイアン・ソングやハパハオレの名曲の数々を自らのレパートリーとして習得していった。そして、第二次世界大戦後にアメリカ本土を始め、世界中で”Hawaii Calls“でブームとなりつつあったハワイアン・ミュージックの伝導師としていつしかフルタイムのミュージシャンとしての人生を送った。
1970年代半ばに、リタイヤすると、ハイアットリージェンシーワイキキのセールスマネージャーとして新しいキャリアを歩み始めるが、その新たな職場は、カラカウア大通りを挟んでクヒオ・ビーチに面し、仕事前、仕事後にサーフィンへの情熱を再確認するにはもってこいの場所であったことは想像に難くない。
「この魅惑的な場所で」とタイトルされた、そんな彼の遅く届けられたフォーストCDには、ウクレレとともに、その甘い歌声のハーモニーとともに聞かせてくれる、アコースティックなラウンジ・ハワイアンが67分、23曲より優られて収録されている。 付随する、28ページの小冊子には、各曲のすべてのハワイ語と英語の翻訳が含まれていて、アウアナ(現代的な)・フラを愛好するダンサーたちのバイブルにもなり得る1枚。
実際、Aunty Genoa Keweは、「このCDは、すべてのフラダンサーにとって必須であり、歌詞もとても完全で明確であり、Mannyのヴォーカルははとてもスムースです。」と述べ、元ミスハワイで、ハレクラニホテルで有名なフラダンサーでもあるKanoe Millerも、「これは本当に芸術作品であり、フラダンサーが夢見る歌と音楽である」と最大限の称賛を寄せている。