Future Frontiers (1994, Kde Records, Inc)

カペナは、1984年から今も活動を続ける息の長いバンド。
当初、カペナは、ヴォーカルとウクレレのケリー・ボーイ・デ・リマと、ベース&ヴォーカルのティヴァ(ティヴァイニ)とギター&ヴォーカルのティモ(ティモニ)・タトフィ兄弟によるトリオ編成だった。
ケリー・ボーイの父であるルドルフによって名付けられたカペナという名前は、(船や飛行機の)キャプテンがハワイ語になったもの。同名の有名な滝もヌウアヌ渓谷にある。

1985年、まだカイムキ・ハイ・スクールの生徒だった時に、ナ・レオを世に送り出したことで知られるブラウン・バッグ・トゥ・スターダムというローカルのコンテストに参加したことをきっかけに音楽活動を本格化させた。当初、「ハオレ・ボーイ(白人少年)が歌うハワイアン・ソング」的な注目の集め方もしたが、彼らは着実にキャリアを積んでいった。
その後、練習を重ねてワイキキのパブやクラブで、毎晩のように出演できるようになった彼らは、友人のトニー・コンジュゲイションがナ・ホクにノミネートされたことに刺激を受け、アルバムを制作し、ツアーに出られる用になることを目標に掲げた。
ライヴでの経験を積んで当時のホノルルのNo1ライヴ・クラブ、ハングリー・アイにも毎週土曜日の夜にレギュラー出演できるまでに実力を高めてきた彼らに、スパーキーズ・ラウンジという会場でデビュー・アルバムをライヴ・レコーディングで収録する話が訪れ、1986年、「サティスファクション・ギャランティード(満足間違いなし!)」とい自信満々のタイトルでデビューを飾り、翌年のナ・ホクでモスト・プロミッシング・アーティスト・オヴ・ジ・イヤーにノミネートされたが受賞することはなかった。この事で、闘争心に火がついた彼らは翌年リリースのセカンドアルバム「アンド・モア」で、コンテンポラリー・アルバム・オヴ・ジ・イヤーとグループ・オヴ・ジ・イヤーの2部門を獲得するに至り、FM100で10週連続1位にも輝いた。
『Electrifying Kapena!』と呼ばれるのりの良いカペナのサウンドは、ケリー・ボーイがギターのように弾くピッキング奏法のウクレレが特徴的で、幅広いジャンルをカヴァーする器用さも併せ持ったが、彼らもまた、ジャワイアン・ムーヴメントを確立させた立役者の一人と言えるだろう。

タヒチよりの太鼓のリズムとチャントのようなヴォーカルで幕を開けるこのアルバム「フューチャー・フロンティアーズ」でも、曲ごとにアイランド・レゲエをはじめ、実に様々なスタイルでの演奏を披露してくれていて、安定した実力派バンドの底力を感じさせてくれる。

こうして、ハワイの音楽界のトップに躍り出たカペナは世界中をツアーして回ることとなり、コンスタントに20枚以上にも及ぶアルバムをリリースしてゆくが、それぞれが家庭を持ち、父となり、2000年を迎えるにあたって3人は別々の道をゆく決断を下した。

その後、ケリーボーイは次世代のカペナを世に送り出す。メンバーは、ケリー・ボーイに、彼の三人の子どもたちスタジオ・エンジニアでもありリズム系を担当するペナ・ブーこと、長男のカペナ, ディズニーのアウラニのショーにも出演するキーボードとコーラスのカレナ・クー、そしてベースとコーラスのリロという編成になるが、ときおりリード・ヴォーカルを務める、ケリーボーイの妻、レオラニを加えた5人編成となり、新しいカペナの歴史を刻んでいる。

2015年は30年の歴史を一枚のアルバムにまとめた『Kapena 30』をリリースし、バンドにとっての記念すべき区切りの年となった。2017年には「パレナ・オレ」と名付けられたファミリーグループとして最初のフルレングスのアルバムをリリースし、ナ・ホクでアルバム・オヴ・ジ・イヤーを含む4つの賞を獲得している。

現在のカペナ。この曲、「カレナ・クー」はキーボードをプレイする娘、カレナのために書いた曲