The Extraordinary Kui Lee (2005, Sony BMG Music Japan)

このアルバムは、1966年にリリースされたハワイの音楽史上に残る名盤中の名盤「ジ・エクストラ・オーディナリー・クイ・リー」をリマスタリングして日本でCD再発したもの。

アルバムの1曲めを飾るのが、フォーキーでボサノヴァな感覚をハワイアンにうまく取り込んだ名曲中の名曲「アイル・リメンバー・ユー」。
この1曲だけでも、彼の才能はハワイ音楽史に語り継がれるべきだが、「カ・マカニ・カイリ・アロハ」等、ハワイ語のトラッド曲も歌いハワイへのリスペクトを見せてくれつつも、今もスタンダードとして歌い継がれる「ザ・デイズ・オヴ・マイ・ユース」など、フォーク〜ロック〜ポップと当時のアメリカ本国のサウンドを取り入れたバランスの良さは、アル・クーパーやフィービ・スノウなどとの仕事でも知られる名ギタリスト&ソングライターのスチュワート・シャーフによるアレンジの賜物でもある。

クイ・リー(本名クイ・オ・カラニ・リー、1932/7/31〜1966/12/3) 中国系ハワイアンのシンガー・ソングライター。

クイは、エンターテイナーだった父ビリーの仕事の都合で、中国上海で生を受けるも、ほどなく、母エセルを亡くしハワイに戻り、5歳だったクイをカメハメハ学校に入学した。
卒業後、クイはニューヨークに渡り、レキシントン・ホテルの「ハワイの間」でナイフ・ダンサー、振付師として働き、その時知り合ったフラ・ダンサーのナニと結婚する。

2人は、4人の子どもたちと共に、1961年にハワイに戻り、その後、カネオヘにある幼なじみ、ドン・ホーのナイトクラブのパフォーマー兼ドアマンとして働くこととなる。
「タイニー・バブルス」の大ヒットで世界的エンターテイナーとなったドン・ホーはクイの才能にいち早く気づき、ハワイアン音楽の新世代として、ステージでさかんにクイをプッシュしたによりクイ自身の存在は徐々に知られるようになっていった。

3年後、クイは彼の決定的なヒット曲となる「アイル・リメンバー・ユー」を書き、正式に出版社と契約を結び発表をすると、その年にトニー・ベネットとアンディ・ウィリアムズによって録音され、後にエルヴィス・プレスリー、ハーブアルパート&ティファナブラス、ロジャー・ウィリアムズなどによって様々な言語によってレコーディングされることになる。また、ドン・ホー自身もカヴァーして大ヒットさせ、「タイニー・バブルス」に次ぐ代表曲とした。
しかし一方で、その年、クイは癌にかかっていることが発覚する。

そんな最中においても、彼はコロンビア・レコーズと契約し、自らのオリジナルを中心にアルバムを完成させる。
それが、この「ジ・エクストラ・オーディナリー・クイ・リー」であり、このアルバムの発売は奇しくも彼の死の前日であった。

34歳という若さでクイはなくなったが、もう少し存命して活動を続けていたなら、コンテンポラリー・ハワイアンの方向性は間違いなく変わっていたのではないか?