Ulana Ke Aloha (1995, Hula Records)

ハワイ島を中心に活動し、フラ・メインのコンピレーションにも頻繁に登場するのが、このダーレーン・アフナ。

3歳にして、レナ・マシャド、アンティー・ジェノア・ケアヴェ、レイナアラ・ハイリ、フイ・オハナなどに耳を傾け、音楽への魅力を感じ、それらの音楽と歌声に傾倒してゆく。つまり、正統なファルセットをふんだんに活用する女性ヴォーカリストたちの歌声だ。フラ・クラブに参加しても、彼女の興味は、ひたすら音楽に対してであり、踊りには向かわなかったという。
ダーレーンは、もともとはオアフ島カネオヘの生まれ育ちなのだが、中学生の時に、父の仕事の事情でハワイ島ヒロに引っ越した。新たなローカルに馴染むべく参加したハワイアン・クラブで、みんながウクレレを練習しているのを観て、自分はギターを練習することにしたという。そして、ヒロ中学校の2年のときのクリスマス会で、3人のフラダンサーと4人のミュージシャンが演奏することとなり、そのメンバーに選ばれたダーレーンは、初めて正式に人前で演奏する機会を得た。

翌年5月のメイデー・フェスティヴァルで、ゲストのクウイポ・クムカヒと共演する機会を得て、それがきっかけとなり、その後、高校生になっても、様々な種類のイベント、ルアウ・パーティー、卒業式、そしてヒロのアンクル・ビリーズ・ホテルで彼女と演奏を始め、その関係性を深めていったし、それはミュージシャンになることを常に夢見ていた10代の若者にとってはかなりの貴重な経験でもあった。

さらには、高校卒業後の夏に、クムフラであり、もちろんミュージシャンでもある、あのジョージ・ナオペ氏から一本の電話をもらう。そして、ナオペ氏からの依頼で、ワイアケア・ヴィラズという会場で、彼の率いるグループのリードシンガーとして、定期的にショーに参加することにもなった。そして、これが彼女のプロとしての出発点となった。また後には、アンティー・ジェノア・ケアヴェとも、あのカーネギーホルでステージを共にし、彼女とも特別な人間関係を築き上げ、日本を始め各地へツアーするまでの関係性となる。

この様に次々とハワイアン・ミュージック・シーンのレジェンド達から、その実力を認められた彼女の記念すべきデビュー・アルバムが、この”Ulana Ke Aloha”。
アルバムリリースの前年、1994年にヒロ・ハワイアン・ホテルが主催したタレント・コンテストに優勝して、ホテルでのショーの1年間、ヘッドライナーを務める権利を獲得し、このデビュー・アルバム制作のきっかけともなった。

何十年もの間歌い継がれてきた曲ばかりが詰め込まれて、伝統に忠実ではあるけれど、決して古臭くなく、むしろ現代的にアレンジされて、彼女の美しいファルセット・ヴォイスとともに届けられる。
ダーレーンに、お気に入りの曲があるかどうかを尋ねると、このアルバムに収録されている”Akaka Falls”だと断言する。この曲の作曲家、ヘレン・リンジー・パーカーはダーレーンの偉大な叔母であり、曽祖母の妹であり、つまり、この曲はアフナ家の家族の大切な遺産であるというのだ。

ダーレーン・アフナは、1997年ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズ、フィメール・ボーカリストを受賞している。