1999年に、デビューアルバム「ハニー・ベイビー」が、リリース1週間にしてローカルチャートの1位になり、デビュー・シングルとしてリリースされた「ドント・ハヴ・トゥ・シンク・トゥワイス」は、ビルボード・チャートに於いて13週に亘ってチャート・インをキープした。最終的に、この「ハニー・ベイビー」は、ローカルの市場のみで8万枚を超えるセールスを記録し、スリー・プラスは、一躍、トップ・アーティストの地位を手に入れた。
そうした活動の後に、2002年、あのショーン・ピメンタルをマネージャー、プロデューサー、ドラム担当として迎え、彼のレーヴェル「クープス2」から、セカンド・アルバムとなる本作「スリー・プラス・フォー・ユー(3+4U)」を発表。
スタイリスティックスのクラシック「ベッチャ・バイ・ゴーリィ・ウォウ」、ボブ・マーリーの「イズ・ディス・ラヴ」、ジミー・クリフの「ルーツ・ウォーマン」のカバーを含む10曲で構成されたこのアルバムからは、「アンダーカヴァー・ラヴァー」を始め、次々とシングルヒットを生み出し、80年代後半から兆しを見せ始めたハワイアン・レゲエを確固たるアイランド・ミュージックのジャンルとして定着させた功労者としても位置づけられるに至った。
このセカンドアルバムは、発売以来たった1週間の売上げで、ビルボード・ワールドミュージックとパシフィック・チャートの3位に登場。またインディーズ・アルバムチャートの45位にランクされ、もちろん、翌2003年のナ・ホクでは「レゲエ・アルバム・オヴ・ジ・イヤー」を獲得している。
そして、2002年秋に、アロハスタジアムで開催されたジャネット・ジャクソンのオープニング・アクトに選ばれたのを始め、サード・ワールド、シャギー、マキシ・プリースト、インナー・サークルと言ったレゲエ界のアイコンたちのショーにも参加し、「アイランド」のみならず、レゲエ界でも確固たる地位を獲得した。
しかし、その後、活動を休止し、2019年8月にシングル「ラヴ・フォー・ユア・ライフ」を発表するまで沈黙が続いた。
今後、活動を再開するのか?その動向が注目される。