このアルバム・タイトル「テリトリアル・エアウェイヴス」は、現在、最も長期間に渡って放送されているハワイアン・ミュージック番組。
番組のDJでプロデューサーのハリーB.ソリア Jr.は1979年6月13日に、長くハワイのラジオ、そして音楽に関わってきた祖父と父へのオマージュとして「テリトリアル・エアウェイヴス」をKCCN-1420AMでスタートさせた。
祖父のハリーG.ソリアは「ハワイアン・ラジオの祖」リスナーから愛されたDJで、真珠湾攻撃で放送が中止されるまで、長きに渡ってKGUラジオでパーソナリティーを務めた人物で、また、父のハリーB.ソリア Sr.も1930年代から50年代にかけてのラジオ・キャリアの中で「ヴォイス・オヴ・ハワイ」として知られた人物。
ハリーBの自宅には祖父の代からストックされ続けているアナログ盤、またそれ以前のワックス・シリンダーまで膨大な「遺産」が相続されており、そんな膨大な音源資料を活用して、ハワイアン・ミュージックを徹底的に紹介する趣旨でこの番組の歴史は始まった。
この番組は開始から40年を超える今も放送中で、2019年6月14日には、1935年から1975年までの40年間放送の記録を持った伝説のラジオ番組「ハワイ・コールズ」の偉大な遺産に追いつき、それを上回る記録を更新中なのだ。
テリトリアル=植民地時代(1900年〜1959年)、ハワイが50番目の州として認められるまでの「南国の楽園」時代の「ハワイ音楽」は、往々にして白人うけを狙った「ハッパ・ハオレ(半分白人)」と呼ばれる、本来のハワイアン・ミュージックとは異なるアプローチの音楽が主流だった。そして、そんな「虚構のハワイアン・ミュージック」が世界規模で一大ブームとなり、映画やショーを含むエンターテインメント・ビジネスの中核を占めるまでになり、結果として、ハワイを世界的な観光地として認知させる役割をも担ったのだが、、、。
それが故に番組を立ち上げた1979年当時、ハワイアン・ルネッサンス運動真っ盛りの頃は、こうした「ハッパ・ハオレ」を主に取り扱う、この「テリトリアル・エアウェイズ」に対してネガティヴな評価をするリスナーも多く存在したという。しかし、そういった流行りや風潮も歴史の1ページとして捉え、否定的にならず、大きな意味で「ハワイアン・ミュージック」をハワイ文化の重要な一部として紹介し続けてきた。
このアルバムに収録された懐かしいトラックはレナ・マチャドの「カウオハ・マイ」のように伝統的なハワイアンミュージックにかなり近いものから、まるでイージーリスニング曲のような「シルヴァー・スウォード」まで、ハワイ音楽の消化され具合を検証できる素材であったりもするのが、興味深い点だったりもする。
また、TerritorialAirwaves.comは、「テリトリアル・エアウェイヴス」のオンライン拡張版。
このサイトには、ハワイアン・ミュージック・ヒストリーの完全保存を目指して、これまでの「テリトリアル・エアウェイヴス」の番組アーカイヴに加えて、過去の収録音源の保存と永続化に特化したオーディオの抜粋、写真などが多数含まれていて、スチールギター、ウクレレ、フラ、ファルセット、ハーモニー、チャントとメレ、伝統的なハッパ・ハオレなど、整理されたハワイアンミュージック・アーカイヴが、定期的に追加されている。