そもそもオーガニックなジャック・ジョンソンの楽曲を、ウクレレを爪弾きながら歌おうという、ゆるゆるな本。
全41曲掲載。その曲に必要なコード・チャートを整列させ、歌詞の上にコード名を記載しただけの作りもゆるゆるな歌本。
僕は、ジャック・ジョンソンのアルバムを6枚所持しているが、それらの音源をCDというメディアで所持したことがなかった。すべてiTunesなどのデジタルメディアで購入したものだったのだ!
そんな訳で、アルバム紹介という手法を取れなかったので、こんな形でアーティスト紹介をすることにした。
今や、新たなハワイのミュージックシーンを代表する顔といっても過言ではないジャック・ジョンソンだが、デビュー当初、ハワイの住人たちの間でも、彼が「ロコ」であるという認識はあまりなかった。
それはきっと、ワイキキなどを中心とする、アイランド・ミュージック・シーンには全くと言っていいほど、関わってきていなかったからだ。そんな彼が音楽シーンへの一歩を踏み出すきっかけとなったのが、先に紹介した映像作品「シッカー・ザン・ウォーター」だった。
この作品作りを通じて知り合ったカメラマンのスコット・ソーエンズなる人物の紹介でジャックと出会ったG・ラヴは、彼の音楽的才能に着目し、自身のアルバム『フィラデルフォニック』にジャックの楽曲「ロデオ・クラウンズ」を収録。それはアルバムからの1stシングルにもなった。
同じ頃、ベン・ハーパーの右腕として知られるプロデューサー、J.P. プルニエとサーフィン仲間となり、 手渡したデモテープがきっかけで、ベンが新たに設立するインディ・レーベル「エンジョイ・レコーズ(現エヴァーラヴィング)」の第1弾アーティストとして、レ コード契約を結ぶこととなる。
こうして、2001年の2月にリリースされたデビュー・アルバム「ブラッシュファイアー・フェアリーテ イルズ」は、メロウでシンプルなアコースティック・サウンドを基本に、レゲエ、ラテン、ヒップホップなどの要素も 取り入れたオーガニックなミクスチャー・スタイルが評価され、徐々に徐々に口コミで、まさに「ブラッシュファイアー」のごとく広まって ゆき、インディーズで20万枚以上をセールス。そして2002年になって改めてユニバーサルからのメジャー流通に乗ると、遂にはミリオンセラーを記録してしまう。
2003年、ジャックは”ブラッシュファイアー・レコーズ”を設立。ビースティ・ボーイズなどを手がけたマリオ・カルダートJr.をプロデューサーに迎え、ハワイでレコーディングされ、同レーベルからの作品としてリリースされた 2ndアルバム「オン・アンド・オン」は、全米ビルボード初登場3位という予想以上の好スタートを切る。
2005年に発表した3rdアルバム「イン・ビトウィーン・ドリームス」はアメリカのみならずイギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドといった英語圏全体でも大ヒットし、世界的な評価を確実なものとする。
2006年には、『おさるのジョージ』の映画音楽を手掛け、そのサントラである「シング・ア・ロング・アンド・ララバイズ・フォー・ザ・フィルム:キュリアス・ジョージ」を、2008年にはソーラー発電を動力にしてレコーディングした4thアルバム『スリープ・スルー・ザ・スタティック』、そして2010年の5作目「トゥ・ザ・シー」まで、すべてにおいて全米1位及び英豪チャートでも首位を獲得するなど軒並み好成績を記録している。
最近では、今年、アースデー50周年を記念して、ヴァーチャル・フェスティバル「コクア・フェスティヴァル 2020- ライヴ・フロム・ホーム」の配信を日本時間4月26日(日)午前7時から約2時間行った。このイベントは、非営利環境団体コクア・ハワイ・ファウンデーションと新型コロナウイルス救援活動を支援する目的で開催され、amazon musicとのパートナーシップの下、世界中へ生配信された。
改めてデビュー・アルバム「ブラッシュファイアー・フェアリーテ イルズ」を貼ってみる