現在、日本人の何割がハワイに行ったことがあるのだろうか?
かつては、あのアップダウンクイズの賞品になったぐらいの「はるかな憧れの南国の島」であったが、ワイキキビーチやフラダンス、ウクレレからイメージされるリゾートとしてのハワイは今や、庶民の我々にとっても馴染み深い場所になっている。
ほぼ日本人しか乗ってない国際線の飛行機に乗れば、6〜7時間でホノルルに到着し、ホノルルの限られたエリアを、まるで巨大アウトレット・パークであるかのように縦横無尽に踏破し、
パンケーキだ!アサイーボウルだ!!と、芸能人たちによって紹介された店を虱潰しにあたってゆく。
そして3泊もすると、パンパンになったスーツケースを転がして帰国してゆく。
本書には、「日本人は一般にハワイについて、太平洋の楽園幻想、最も身近な米国『アメリカン・ハワイ』、疑似化された日本という、三つの固定観念を持っている。」とも記されているが、まさにそのとおりだと感じる。
ワードあたりの街なかで、お笑い系の芸能人が、まるでそこが原宿であるかのようにはしゃぎ、大声を出し、大騒ぎしてみせる。周りは日本人の観光客だらけだとしても、ここはハワイだし、アメリカだと言いたい。
岩波書店の紹介文によると、
「日本人のパラダイス、ワイキキだけがハワイではない。
米国本土よりも成功しているとされるユニークな多民族社会、ゴルフ場やホテル開発で圧迫されながらも、沈黙を破って発言し始めた先住民、個性的で美しい島々、軍事戦略の中で重要な役割を担ってきた基地…。
ハワイなんて、と決め込んでいる人の見方も突き崩すガイドブックの誕生。」
とある。
本書の序文とあとがきに「ハワイはゲシュタルトの「だまし絵」のようだ。」というフレーズが登場する。
視点を変えると、その絵は人の横顔に見えたり、ツボに見えたりするあの絵だ。
ポリネシア、移民、マルチ・エスニック、ワイキキの誕生、日米関係等のキーワードから、徐々に見えてくるハワイのユニークな実像。ハワイでは、ひとつひとつの事象は、一方からの視点のみでは捉えきれず、常に、いくつかの視点で把握する必要があると考えたほうがいいのだ。
例えば、白人資本でのワイキキ開発とそれに伴うトロピカルなイメージ戦略。
徐々に歪められてゆくハワイのパブリック・イメージに限界を感じてカウンターとしてのハワイアン・ルネッサンス。主観を移動してみることによって、多重な理解が浮かび上がってくる。
「ハワイはそんなに薄っぺらな土地じゃありませんよ!」
リピーター自慢や移住自慢をする「著名人」の方々にも、もう少しハワイにリスペクトを持った情報発信がお願いできないものかと思わずにいられない。
巻末に付録として「ハワイ史を歩く人のためのガイド」という、「ささやかな抵抗」と自らが呼ぶ、ハワイをもう少し「正しく理解」してもらうための独自のハワイ・ガイドが付いている。