HAPA(1992, Mountain Apple Company)

ハパはハワイアンのケリイ・カネアリイとニュージャージー出身(NY出身説も)の白人であるバリー・フラナガンの2人で結成された。

彼らのそれぞれ違った音楽的キャラクターがお互いにその独自の音楽スタイルを造りあげていた。

ハパとはハワイ語で「半分」または「部分」の意味を持つ。

ケニー・ロギンスやステファン・スティルスとも演奏経験のあるギターの達人バリーは、ライ・クーダーの名盤チキン・スキン・ミュージックを経由してスラックキー・ギターのレジェンド、ギャビー・パヒヌイの音楽に魅了され、1980年にハワイへとわたってきた。ハワイでその独特の奏法を学び、独自のスタイルを築き上げていった。
音楽に限らずハワイのカルチャーに傾倒したバリーは、1982年のとあるクリスマスパーティーハワイ生まれのケリィと知り合い、1983年よりデュオとして活動を始める。

ハワイアン・チャイニーズの15人兄弟の末っ子だったケリイは、ホノルルの市内にあるパパコレアというネイティブハワイアン居住区で大きくなった。 彼は叔父さんからスラックキーギターを習い、歌は教会と高校で習った。70年代にカネアリイは、ギャビーの息子であるマーティン・パヒヌイとディスコバンドを組み、またソロとしてもホテルのラウンジで演奏していた。彼ら2人が出会った頃を思い出してケリイは「(ハワイアンである)僕がコンテンポラリーを演奏し、(白人である)バリーがハワイアンを習ってたんだ。」と回想する。

そんなギターの魔術師バリーと甘い歌声のケリイは、10年近い歳月をかけ、満を持して発表した1992年のデビューアルバム「ハパ」で250万枚(半分はメインランドでの売上げだったが)をセールスし、ハワイアンのレコードの記録をうち破った。
ケニーロギンスとステファン・スティルスの参加したこのファーストアルバムは今も尚売れ続けている。

このアルバムはまた1994年、ハワイのグラミー賞と呼ばれるナホク・アウォードでナホク・ハノハノ賞(Na Hoku Hanohano Awards)で「Best Album of the Year」「Contemporary Album of the Year」「Most Promising Artist of the Year」をはじめ6部門を総なめにした。