ハワイアン・ミュージックの世界的普及を語る時に欠くことのできない存在が、このCDタイトルにクレジットされているハワイ・コールズという伝説的ラジオ番組。
番組スタート当初は、カリフォルニアの短波放送局2局のみでの放送だったようだが、ワイキキのモアナホテル(現モアナ・サーフライダー・ホテル)のバニヤン・コートヤードから生放送されていたこの番組は、米軍放送網(Armed Forces Radio)を通じて、1935~1975年の40年間に亘って(大戦中には幾度かの中断もあったようだが)全世界に向けて放送された。
放送される音楽はすべて生演奏のハワイアン・ミュージックのみで、目の前に広がるビーチの波の音などを巧みにミックスして、「常夏島のハワイ」への妄想を増幅し、観光地としての付加価値を高めていったようだ。
最盛期の1952年には全世界、750局にネットワークされていたという。
病に倒れるまでの37年間、番組の司会を務めたのはウェブリー・エドワーズ氏。
彼は、まさに”Mr. ハワイ・コールズ”で、司会のみならず、選曲家、構成作家であり、プロデューサーも務めた。また、番組の人気上昇に伴い、その出演者たちも人気を集めるようになり、ハワイアン・ミュージックの人気者ファミリー”Hawaii Calls”までもが組織されるようになったという。
僕たちが最初にハワイアン・ミュージックとしてインプットされた音楽、
My Little Grass Shack(ハワイのわらぶき小屋)
Pearly Shell(真珠貝の歌)、
Sweet Leilani(麗しのレイラニ)
Hawaiian Wedding Song(ハワイアン・ウェディング・ソング)など、
全てこの番組から発信された楽曲たちだ。
第二次世界大戦直後に青春を送った日本の先輩たちにとっては、ハワイアンといえば、ちょっとジャジーなリズムに、スチールギターとファルセットなヴォーカル、、、ずばり!こうしたサウンドだったのだろう。
未だに、「ハパハオレ(半分白人)」としてジャンル分けされる音楽を確立させた番組でもある。
いかに観光産業への貢献度が高くとも、白人文化寄りにアレンジされすぎたイメージは、やがてハワイアン・ルネッサンスという形で反発を招く一端にもなった。
ともあれ、そんな古き良きハワイ・ブームのきっかけともなったヒット曲集である。
この番組が詳細に紹介されているサイト: Music of Aloha 興味のある方はどうぞ!