Eddie Would Go, (2001、St. Martin’s Griffin)

“Eddie Would Go”
「エディーなら行くね!どんなに困難な状況でも、恐怖を感じる状況で、誰ひとり立ち向かおうとする人がいなくても、エディーなら行くと思うよ。」そんな言葉だ。

エディこと、エディ・アイカウは、伝説的なライフガード、ビッグ・ウェーブ・サーファー。
本名、エドワード・ライアン・アイカウ(1946年5月4日-1978年3月17日)
カメハメハ1世の政治を支えた最高位の神官であるカフナ・ヌイの血筋に生まれる。

生まれは、マウイ島カフルイだが、13歳のときに、家族とともにオアフ島へ引っ越してきた。

幼い頃から熱中したサーフィンへの熱は、オアフに来てからも衰えることなく、ノースショアのビッグ・ウェーブでスキルを磨き、トップサーファーの1人として認められるようになる。

1968年、その高い能力を買われて、City & County of Honolulu から最初の公式ライフガードにスカウトされ、主にワイメア・ベイを中心としながら、ノースショアのハレイワからサンセット・ビーチを管轄して500人を超えると言われる人命を救い、1971年には”ライフガード・オヴ・ジ・イヤー”も獲得した。

サーフィン競技にも積極的に取り組み、デューク・カハナモクに次ぐ先住ハワイ人系プロサーファーの先駆けとなり、1977年、デューク・カハナモク・インヴィテーショナル・サーフィン・チャンピオンシップス(通称”The DUKE”)優勝を始め、数多くの大会で優秀な成績を収め、多くのサーファーたちからも尊敬を集める存在だった。

冬のワイメア・ベイで、プロさえも尻込みするような30フィートを超えるビッグ・ウェーブに立ち向かい、見事に乗りこなしてみせたその姿はサーフィン界の伝説となり、この偉業は、ハワイ発祥とされるサーフィンをハワイアン自身の手に取り戻した歴史的な瞬間でもあった。

1985年に彼の名誉を称えて設立されたビッグウェーヴ・サーフィンの大会「クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディ・アイカウ(通称「The EDDIE」)がサンセットビーチで開催され、1986年より、彼にちなんだワイメア・ベイに会場を移つし開催されている。

30年以上の歴史を持つ大会にも関わらず、これまで実際に開催されたのはわずか9回。
なぜなら、大会期間は12月1日〜2月末日と決められているものの、波の高さが20フィートを超えないと開催されないからである。

今年のthe 2019-2020 Eddie Aikau Big Wave Invitationalは昨年12月1日〜今年の2月29日と設定され、55名の招待サーファーたちで開催されている。

1970年代、ハワイの人々のルーツを確認し、アイデンティティーを確立しようとしたハワイアン・ルネッサンス活動が盛り上がりを見せる中、エディーは、ハワイ人の祖先と言われる古代ポリネシア人の航海方法を再現しハワイ諸島への航行を実証ようとしたカヌー、ホクレア号のメンバーにも選ばれる。
ホクレア号の航海は、まさにハワイアン・ルネッサンスの象徴ともいえるプロジェクトだった。

1978年3月16日、タヒチに向かうため、オアフ島のマジックアイランドから出航したホクレアは、すぐに悪天候のためモロカイ海峡で航行不能となって漂流の後、遭難。
翌3月17日にエディーは乗組員の救助を求めるため、1人パドルボードで一番近かったラナイ島に向け出発したが、戻らぬ人となってしまう。
その後の捜索は、ハワイ史上最大の規模で行われたが、エディーを発見することはできなかった。
その勇気ある行動と悲劇的な最後はハワイ社会において伝説となり、英雄と称されるようになった。

どんな出来事、局面に対してもハワイアンとしてのプライドを持って勇敢に立ち向かって行ったエディー。
これからもハワイの人々は、愛と尊敬の念を込めて”Eddie Would Go”の言葉を大切に受け継いでゆくことだろう。