2000年に「彗星」のごとくアイランド・ミュージック界に登場し、折りからのジャワイアン・ブームに乗ってrap, Hip-Hop系のテイストをアイランドミュージックに導入させた立役者の1人である、O-Shen。
オーディエンスたちにとって、唐突感のあるO-Shenの登場はこのデビューアルバム”Iron Youth”を引っ提げてのものだったが、ほとんどの人間が彼がどこから現れて、どんな風にシーンに出現してきたのか、「謎」のままだった。
通常、ハワイの狭いローカルの社会では、「ご近所さん」や「同級生」が至る所にいて、音楽にせよ、スポーツにせよ、頭角を表してきた人間の細かいプロフィールなどは、瞬く間に知れ渡るものなのだが、、、
というのも、マッチョ系白人のルックスにドレッド・ヘアで歌うのは、レゲエ、ヒップホップ、ラップの影響が色濃いアイランド・ミュージック。しかも、レゲエのリズムに合わせて英語以外にトク・ピシンと呼ばれるポリネシアの言語を高速ラップをぶち込んでくるという独特のスタイルだったからだ。彼の不思議な存在感は、パプア・ニューギニアにルーツを持つ彼のバックグラウンドによるものなのだが、実はこれがとてもポップでキャッチーな響きなのである。
O-Shenは本名をJason Hersheyといい、ワシントン州のSpokane生まれだが、医療系の宣教師をしていたアメリカ人の両親の元で、パプアニューギニアで乳児期から15歳まで人口1500人ほどの長閑な環境で育っていた。しかし、そんな村で育ってきたO-Shenはティーンネージャーにして、白人社会の都会であるSpokaneに突然引き戻されると、社会に適合できず犯罪を犯して、3年間刑務所で過ごす羽目に。投獄されている間、彼は自分のアイデンティティーである文化を再び見つめ直し、言語を学び、解放されるとすぐにパプアニューギニアに戻ったが、最終的に、彼はホノルルに新しい家を見つける事となった。
ワイキキで、日中の仕事をこなしながら、音楽的経験値を積み上げ、同じくポリネシアにルーツを持つFijiにパプアン・ピジン・ラップをまじえたデモ・テープを送り、それが大きな評価を受ける事となる。
奇しくも、同時期にホノルルで働いていたCarlos Villalobosと出会い、トラックメーカーのパートナーとして、全面的にタッグを組み、このビューアルバム”Iron Youth”を完成させた。
そして、翌2001年のNa Hoku Hanohano Award for Reggae Album of the Yearを受賞にいたった。
- Honolulu
- Pacifican Herbsman
- Pretty Wahine
- Island Warriors
- Wat’cha Gonna Do
- Girl
- Nation Of Confusion
- Meri Lewa
- Melanesia
- Planet Earth