Color Of The Heart (2004, Choyce Music)

デイヴィッド・チョイは、ハワイを代表するサックス・プレイヤー。
というか、金管も木管もピアノも何でも来いのマルチ・プレイヤーだ。そして、プロデューサーであり、ソングライターであり、勿論、自らがアーティストでありながら、ハワイ内外のアーティストたちのレコーディングやステージのサポートも努めてきた。
このアルバムを出した、2003年時点で、25年以上のキャリアを持ち、125以上のセッションに参加したとあるので、今となってはとんでもない数を積み上げているのだろう。

彼の父は、オーボエとサックスのプレイヤーでホノルル・シンフォニーやロイヤル・ハワイアン・バンドでも活躍した人物。兄もトランペッターという家族の中で育ち、キャッスル・ハイ・スクール時代にはマーチング・バンドから学校のジャズ・バンドに引き抜かれるほどの腕前だったという。

彼のレコーディング歴の資料を見ると、1970年代の終わり頃からの資料が出てくるので、高校卒業すぐからプロとしての活動を始めたようだ。しかし、多くは、コンベンション会場やミュージカルのオーケストラ・ピットの中での仕事などが殆どで、あまり、自分自身を表現できる機会に恵まれていなかったようだ。

しかし、そんな彼にも一大転機が訪れた。それは、1989年。ピーター・ムーンがアルバム「チャイナ・タウン」を制作している時で、ピーターは、デイヴィッドに様々な挑戦をさせてくれて、成長させてくれたとインタビューでも答えている。
そこから彼は、ピーター・ムーン・バンドは勿論、ナ・レオケアリイ・レイシェルセシリオ&カポノカラパナといったハワイアン・ミュージックの第一線級と仕事をし、その延長線上では、チャカ・カーンやドゥービー・ブラザーズ、マイケル・マクドナルド、パティ・オースチンらのツアーもサポートするほど実力派サックス・プレイヤーとして認められた。

このアルバム「カラー・オヴ・ザ・ハート」では13曲中、8曲を彼自身が作曲し、殆どの曲のトラックでプログラミングを行っている。生楽器は、ベースのブルース・ハマダとギターのアラン・ヴィラレンでほぼ固定された他、カウアイ島在住のマイケル・ラフも1曲楽曲を提供し、レコーディングにも参加している。

泣きのバラードから、シンセや歪んだギターと飛ばしまくるフュージョンまで、彼の幅広い音楽性と、それに伴う演奏力を余すところなく詰め込んだアルバムだが、「エイ・ネイ」と「ハワイアン・ウェディング・ソング」をさらっと差し込んでくるあたり、ローカル・サーヴィスを忘れていない。逆に言うと、この2曲以外は、ハワイの作品であるとこを忘れてしまうほどのジャズっぷりな1枚である。

家族とマウイ島に移住したデイヴィッドは、ワールド・ワイドな活動の合間に、地元でスラムというジャズ・セッション・バンドでギグをしたり、お呼びがあれば、ワイキキまで「通勤」する生活を続けていたと言うが、2012年に脳卒中で倒れ、リハビリを受けつつ、療養を続けているという。

SeawindのFollow The Roadなどたっぷりと