Punahele (1994, Dancing Cat Records)

レイ・カネこと、レイモンド・カネは本名を、Raymond Kaleoalohapoinaʻoleohelemanu Kāne(レイモンド・カレオ-アロハ‐ポイナ‐オレオ‐ヘレマヌ・カネ)といい、1925年10月2日にカウアイ島のハナペペ、エレエレ(コロアという説もある)で生を受け、オアフ島ナナクリで、漁師だった継父のもとで育った。
9歳の頃、近所の牧場のパニオロ(カウボーイ)が奏でるスラック・キー・ギターの音色に魅了され、頼み込んで、時には食べ物と引き換えでギターの手ほどきを受け、みるみる上達していったという。第二次世界大戦中に、ヨーロッパの占領軍の一部としてアメリカ陸軍に勤務したときも、ギターを持って戦地に赴き、疲れた仲間たちの「子守唄」を弾いてあげていたいう。

戦後、ハワイに戻ったレイは、かつての師であったニイハウ島のアルバート・カウヴェロとヘンリー・カプアナと共に、ルアウ、パーティー、夕方のビーチなどで彼の独特のスラック・キー・ギター・スタイルで演奏活動を始めた。 ワイキキのナイトスポットでギャビー”ポップス”パヒヌイとジャムをし、1960年にレナード・クワン共に1枚のアルバムを録音したレイだったが、1973年に彼が完全にスラック・キー・ギターに特化した初めてのソロコンサートを開催したときまで、広く世間の注目を集めることはできなかった。

1980年代、レイは一時、健康状態を悪化させたが、妻イローディアの献身的なサポートにより、彼は再び演奏活動を可能にできる治療法を見つけ、1990年代には、夫婦でハワイ州内のみならず、オーストラリア、サモア、タヒチ、グアムなどを一緒にツアーしていた。

スラック・キー・アンバサダーとして知られているレイ・カネは、ハワイ独特で美しい音色を持つギターの演奏スタイルを世界に知らしめる大きなきっかけを作った功労者の一人でもある。

彼の演奏スタイルはシンプルで、過剰に派手であったり、速いわけではなかったが、「Nahenahe(ナヘナヘ=甘い響き)」と呼ばれる優雅な響きを持つ独自のものだった。

フラやチャント同様に、一子相伝で、家族内でしか共有できなかったハワイならではの伝統スラック・キー・ギターを二度と絶やさないために、公の場で演奏し、幅広くツアーをし、ドキュメンタリーフィルム(教則ヴィデオ)や教則本を通じて、惜しげもなくその基本奏法を公開した功労者だ。
こうした活動の中からマカナマウナルアのボビー・モデロウJr,の様な後継者も数多く育っていったのだ。

レイは、1987年にはアメリカ政府の民族芸術及び、伝統芸術分野における最高の栄誉である、ナショナル・ヘリテッジ・フェローシップを受賞している。

2008年2月27日に82歳で亡くなるまでに、1枚のコンピレーションを含めて14枚のアルバムを発表している。
本作は、スラック・キー・ギター界のパトロン、ダンシング・キャット・レコーズのジョージ・ウインストンの肝いりで発表されたもので、レイ・カネの魅力を余すところなく詰め込んだ1枚となっている。