マカナは、オアフ生まれ、オアフ育ちのスラック・キー・ギターの名手。本名は Matt Swalinkavich。
7歳でホノルル・ボーイ・クワイヤーに参加し、歌い始め、9歳でロイ・サクマのウクレレ・スクールでウクレレを学び、そして11歳のときにテレビで見たスラック・キー・ギターに衝撃を受けて、アラ・モアナ・パークで開催されていたハワイアン・スラック・キー・ギター・フェスティヴァルに母と出かける。そこで、ナナクリのスラックキーマスター、レイモンド・カネと彼の若い弟子、ボビー・モデロウ Jr.の演奏をみて大感激。彼らのステージのあとにお母さんはバックステージに赴き、ボビーに自分の息子を教えることを強引に了承させたという。
13歳の時には、テレビ出演をきっかけに、巨匠ソニー・チリンワースからも才能を認められ、直接手ほどきを受けていたが、その後2年ほどで、ソニーは亡くなり、マカナは彼の最後の弟子となった。
14歳でクラブでの演奏活動をスタートさせ、その時からステージ名として、「贈り物」を意味するハワイアンネーム Makana を名乗っている。15歳には週に4日はライブをこなし、19歳にして、ファーストアルバム「MAKANA」をリリース。
そして、この頃、なんと!!あの!!!モトリー・クルーやボン・ジョヴィなどのマネージャーとして名高いドク・マギーからマネージメントをオファーされたが、スラック・キー・ギターではなく、ポップスターを目指そうと提案されたので丁寧にお断りしたそうだ。
その後、日本デビュー作となった2ndアルバム「コイ・アウ」(2002)、自身のルーツを追及したトラディショナル・ハワイアン中心の3rdアルバム「キー・ホー・アル・~ジャーニー・オブ・ハワイアン・スラック・キー」(2003)と立て続けに作品を発表し、『ディファレント・ゲーム』(2006)ではよりスラック・キーをロックのフィールドに持ち出した作品としてビルボード誌等でも高い評価を得ている。
マカナの音楽への探究心は留まる所を知らず、フォーク、ロックエスニック、クラシック、ブルーグラス、ジャズ、トラディショナル、アンビエントなどと、ハワイアン・スラック・キーの要素の統合により、自らが作り上げた新しいスタイルを「スラック・ロック」と呼び、この新しいアプローチにも注目が集まっている。
彼は、これまでに、スティングやジェイソン・ムラーツらのオープニングを勤めたほか、友人でもあるジャック・ジョンソンやケアリイ・レイシェルをはじめ、ノー・ダウトやエルビス・コステロ、サンタナらとも共演し、ホワイトハウスに招かれて演奏した経歴も持つ。
「キ・ホアル:ジャーニー・オヴ・ハワイアン・スラック・キー」は、タイトル通り、スラック・キー・ギターと関わってきた、これまでのキャリアの中で、彼にとって様々な意味を持つ曲たちがピックアップされ、インスト曲と歌ものが交互に披露されてゆく。
例えば、「モアナ・チャイムス」は、師 ソニー・チリンワースがマカナに初めて教えてくれた曲だというし、別の師匠、レイモンド・カネの「プア・サディニア」は、氏の得意としたナヘナへ・スタイルでトリビュートされている。
各曲で、さまざまなテクニックを聞かせてくれているが、どの曲でもギター一本だけを使用したというこだわりもあるようだ。